2009年4月27日 (月)

終電間際の混雑とビジネス・ソリューション。

 金曜日のことである。

 帰るのが遅くなってしまった私は,終電間際にようやく駅へ辿り着いた。

 ところが,電車がやってきてびっくり。超絶な混みようだ。東葉高速開業前の総武線ラッシュを利用していた自分も体験したことのないような混雑。

 各駅で停車する時間が長い。乗り換え列車の接続をとるためだけではなく,乗降そのものに時間がかかるのだ。列車はいつしか,定刻から20分遅れで走っていた。

 誰もがまっすぐ立っていない。座席に座っている乗客の上へもたれかかっている人もいる。加速するたび,減速するたび,圧死する人が出るんじゃないかと思うくらい,ものすごいプレッシャーがかかる。

 みんなすごい顔をしている。苦悶に満ちた表情だ。2.3kgのノートPCを入れたバッグを持つ手を離しても,当然まるで落下しない。重力加速度ゼロ。

 不思議なもので,ここまで混むと乗客の中に変な連帯感が出てくる。途中駅「降りまーす」と大声をあげ,1分以上かけやっとの思いで車輌から脱出した乗客に対し,どこからともなく「おつかれさまー」,「来週も頑張れよー」と声がかかる。もちろん,声をかけているのはまったくの他人だ。

 列車が隅田川を渡ってしばらくすると,麻生太郎の10倍くらい口を曲げ,苦しそうにしていた若禿の男が,同僚に向かって叫び始めた。

 「もうやだー。オレ福井に帰るぅー」

 周りの客は苦笑している。が,彼はとどまるところを知らない。

 「オレの23年間はなんだったんだ!」

 声をあげて笑う者もいる。

 「これはもう首都東京の負の側面ですよぉ。たったこれっぽっち,たったこれだけのことが解決できなくて,なんにぃがビジネス・ソリューションだっつーの。ったく意味ねーんだよ」

 周りの客はついに爆笑した。

 満員電車に揺られる勤め人の悲哀が,つらい時間に一服の清涼剤を与えてくれた。私は感服した。彼はまだ「しんたろー」などと都知事に向かって何かをアピールしている。

 終着駅が近づき車内が落ち着きを取り戻したとき,私は件の彼が立っていたであろう場所を見た。

 その床には,歯磨き粉と歯ブラシ,ボディソープ,そして花粉症用のマスクが散乱していた。

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2009年4月26日 (日)

フローラSとアンタレスS

(1) 東京(日) 11R 馬 単 フォーメーション 1着:03,16
2着:03,06,09,10,11,12,16
各100円(計1,200円)
(2) 東京(日) 11R 3連単 フォーメーション 1着:03,16
2着:03,16
3着:06,09,10,11,12
各100円(計1,000円)
(3) 東京(日) 11R ワイド  03-16
300円
(4) 京都(日) 10R 馬 単 フォーメーション 1着:05
2着:04,10,12,14,16
各100円(計500円)
(5) 京都(日) 10R 3連単 フォーメーション 1着:05
2着:10
3着:04,12,14,16
各100円(計400円)

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2009年4月 7日 (火)

キツい汚いだけじゃない。

 マスコミというのはほんとうに節操のない集団であり,こないだまで煽っていた投機ブームが頓挫してしまったら,今度は農業を強烈にプッシュしはじめている。特に,ハケン切りに象徴される失業者の増加を背景として,就農支援,新規参入の困難さなどが取り上げられることが多い。

 だが,安直な就農支援に補助金をつけても,民間が参入しても,うまくいくはずがないと思うのである。だって「農民」を扱う労働市場の特殊性が,よく認識されていないんだもの。

 まず前提として,農家のオヤジってのは結構すごい,ということを確認しておきたい。農業は現代的な柔軟性を要求する。気候天候の類を予測して意思決定しなければならないし,畜産農家であれば何千,何万頭の家畜の体調を監視しなければならない。肥料飼料の塩梅や,生産出荷量のさじ加減にも通じていなければならない。伝統的に,農家において家計と経営は未分離だからいろいろと面白い制約条件と戦ったりしているはずで,経験によって培われた,インプットとアウトプットの関数はなかなか興味深いはずだ。農家のオヤジは今日的なジェネラリストなのである。「百姓」は,決して単純肉体労働者でない。

 にもかかわらず,農業に従事して培われた能力は,少なくとも現代日本において非常に軽んじられている。ここが最大のポイントであり,このことを無視して就農問題を議論するのはまったく無意味である。たとえば銀行員と,たとえば商社マンと,たとえば自動車ディーラーの営業マンと比べ,「学校出てからずっと百姓でした」と語る人間が転職しようとしたときの困難さは容易に想像できる。極端に言えば,「職業:農業」であるところの人間に対する客観的評価は,「フリーター」,「家事手伝い」と同等に見積もられてしまうのである。これが明らかに不当であるのは言うまでもないが,少なくとも労働市場において農民の能力は他の分野で評価されにくい,というのはほぼ合意可能な実情だと思われる。若者が就農を忌み嫌うのは,「きつい・きたない・かっこ悪い・臭い・稼げない・結婚できない」6K産業であるからだけでなく,就農によって将来のオプションがきわめて制限されることを,なんとなく感じているからであろう。

 実はこれ,農業に政府が介入せざるをえない実情と密接に関わっている。

 本質的に,農業は完全競争的な産業であるはずだ。なんとならば,我が国の国内だけを考えたって,農業従事者が300万もいて,消費者は1億2,000万人もいるからだ。プレイヤーはきわめて原子的じゃないか。供給される商品も均質的である。千葉のキャベツは茨城のキャベツの代替物となりうるし,新潟のコメが高いと思ったら,次は秋田のコメを買うこともできる。経済学の教科書で,ロビンソン・クルーソーが小麦と果物の分配に悩んでいるのには意味があるのだ。これが自動車とパソコンだとうまくない。トヨタとマイクロソフトが偉すぎる。

 にもかかわらず,農業は政府介入がもっともさかんな産業なのである。おかしいでしょう。変でしょう。奇妙でしょう。でも,仕方のない面がある。

 だって,人は,一旦百姓になることを決意したが最後,その職業をまっとうしなければならないからだ。転職できないんだもの。つまり,担い手が死亡したあと後継者が存在しない,といった場合以外に,農家を「つぶす」というのはきわめて困難なのだ。単純に「20ha以下の農家はもういらないじゃん」というわけにはいかないのだ。250万人の失業者の受け皿が,この国には存在しないのである。それは,物理的に働き口が足りない,とかいう問題の以前に,農業従事者の能力評価が正当になされにくい,という障碍によってももたらされるのである。

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2009年3月27日 (金)

更新が滞ってますが

こちらが更新されているうちは生きてます。

http://www2.atword.jp/xedos/

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2009年3月16日 (月)

WBC

なにがびっくりって,清原がなかなかいい解説をすることだ。こんなだとはおもわなんだ。

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2009年3月11日 (水)

うーむ。

 金賢姫を「大量殺人したくせに」という人は,「罪を憎んで人を憎まず」という我が国の言葉を知らないのだろうか。日本人拉致被害者だって朝鮮労働党の指示によって犯罪行為に荷担させられてしまっているかもしれない。仮に今後拉致被害者が帰ってきたとき,今金賢姫を「殺人犯が」と言っている人は,まったくおんなじ構造をもってして「犯罪者が」と石もてぶつけるのだろうか。どうしてこんなに冷静でないのか。小学校の道徳の時間に「暴れん坊将軍」を全話見せないとだめだ。

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2009年3月10日 (火)

Appleよ,時間と睡眠を返せ。

 Time CapsuleとAirMac Expressのファームウェアを7.4.1にしたらネットの調子が悪くなった。復旧するのに12時間もかかった。Appleよ,時間と睡眠を返せ。

 苦労を愚痴る前に,まずは我が家のネットワーク構築図を見てもらいます(柏木集保風)。

001

 こいつは右往左往して到達した現状ベストの環境であり,これまでなーんの不満もなく使っていたのである。

 ところが,昨日の夜中,ブリッジで使っているTime CapsuleとAirMac Expressのファームウェアを7.4.1にしてからおかしくなった。

 OSXを起動してすぐブラウザを立ち上げると,ホームに設定してあるページは開くのである。ところが,そのあとリンクをクリックするともう開かない。一旦そうなるともう2度と接続しない。どうもDHCPのリースが1分くらいで切れてしまうようだ。

 ファームを7.3.2に戻そうと思ったけれど,ダウングレードしている間に接続が切れてTime Capsuleを見失ってしまうから話にならない。そもそもファームの問題かどうかもわからない。

 まず疑ったのは,再起動時にTime CapsuleとAirMac Expressの設定が変わってしまったのではないかということ。ところが,AirMacユーティリティを使おうにも1分しか繋がらないから何もできない。仕方がないのでリセットボタン使って工場出荷時の設定に戻し,それから再設定してみた。

 その後10分くらいは調子よかった。ちょっと挙動が不安定だったり(AirMacの方が1分おきに緑ランプと橙ランプを繰り返していたり)速度が極端に遅かったりはしていたけれど,なんとかかんとかインターネットの世界まで接続できていた。

 ところが,結局またおんなじ症状に。ここで何を思ったか,Webcasterとか終端装置を疑ってしまったのが運の尽き(多分ブリッジを初期化したとき,「これでダメなら無線機器の問題じゃない」と無意識のうちに印象づけられてしまったのだと思われ)。DHCPの問題なんだからルータが悪いんだろう,とか,いやいや回線自体がおかしいんじゃないのか,とか考えてしまったわけだ。

 いろいろやったけど状況変わらず。ここまでで有線接続なら全く問題ないことは確認している。つまり,Time Capsuleよりも下流に障碍がある。やっとある程度切り分けられた。

 けどここで途方に暮れる。頭に来たからBootCamp上のWindowsを立ち上げてみた。そしたら,サクサク繋がるじゃないか!

 ってことは,ハードにも設定にも問題は全くない。悪いのはOSXだ。ソフトの問題だ。

 というわけで再びOSXをブート,ネットワーク設定を初期化してみる。ダメ。OSX10.5.6のコンボアップデータを当て直す。ダメ。ここまで来てOS再インスコという最悪の事態が頭をよぎる。

 ところがだ,疲れたからWindowsを立ち上げて2ちゃんをチェックしてみたら,どうも7.4.1のファームは地雷らしいじゃないか。嗚呼完全に忘れていた。なんというバカ。しかもWinからなら繋がるんだからダウンデータも当てられる…。すると…,見事復活。なんだったんだこの12時間は。

 というわけで復活したMacでこいつを書いているわけです。もうやんなっちゃうよ…。

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2009年3月 9日 (月)

小田嶋隆が倒せない。

 31になった。

 30になったときにはなんとも思わなかったが,31という数字は結構ズシリと来る。合成着色料たっぷり(っぽく感じる)サーティワンのアイスは甘党のワタシでさえ持て余す,とかいうことを言いたいのではなく,「おぉ,30代ってのも今までとおんなじペースで,ひょっとすると更に加速度を増して過ぎていくのかよ」ということが実感されてしまうのである。

 20代のうちはどんなに歳を重ねようが,そのインフレ・ターゲットは30という数字にあった。女性はどう思うのかしらないけれど,男性にとって 30って,そんなに悪くないものだ。小さな頃から,どんなに正論を吐いても「まだまだ世間を知らないくせに」と一蹴されてきた,その「若さ」から解放される,イスラエルの脅威がなくなったガザ地区住民のような安心があった。

 ところが31になると,自分の人生に待ちかまえる当面の関門は「40歳」にシフトアップする。40ですよ40。年寄り連中がこぞって高度医療を受けられるこの日本においてさえ,男性の平均寿命は80に到達しない。ということは,40という数字は,どう頑張ったって自分の人生がもはやピークアウトを迎えざるをえないことを示唆するのである。

 と前置きが長くなったが,今日の議題は「男の年齢」なんかじゃない。小田嶋隆である。

 ネットゲームにログインすることも忘れ,昨夜帰宅するなり爆睡してしまったワタシが,31になってはじめて眼にした文章は,日経BPからのメールであった。

 日経BPのサイトは,過去記事を読むために読者登録を強要する。さすが経団連と密着した「現代日本の腰巾着」である。なんという横暴。

 であるから,世間の話題についていくために日経BPのサイトへのアクセス権を確保しようとすると,どうしても読者登録せざるをえない。するとこやつらは,「毎朝5時」にメールマガジンを送りつけてくる。だから,朝ズバを見るために5時15分に起きるワタシが毎朝はじめて眼にするメールは,日経BP のメルマガなことが多い。

 というわけで,30歳の昨夜眠りにつき,31になって目覚めてみると,いつものように日経BPからメールが来ていた。

 タイトルは「杞憂と言えない株価5000円」であった。ケッ,なんだよこの右往左往メディア。お前らつい1年前には「株価2万円のために必要なこと」とかやってただろ。どんだけ素人なんだよ。と毒づきながら画面を下にスクロールしていくと,"小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」~世間に転がる意味不明 小沢一郎先輩、ごっちゃんです!「政治とカネ」(「不問に付す」技術の洗練を競い合うゲーム)"という記事が目に入った。

 あぁ,思わずクリックしたくなるタイトルである。タッチパッドに置かれた右親指は,自然と「ぽち」していた。

 そして,挫折した。

 小田嶋隆を知らない人のために小田嶋隆が何ものなのか説明しておくと,要するに「政治経済のナンシー関」である。いや,ナンシー関を知っている人間ならば小田嶋隆は知ってるな。「福田和也のような顔をして福田和也がしゃべりそうな対象を,福田和也のような真面目さを排除してしゃべる人」というきわめてわかりづらい例も思いついたのだがあんまり巧くない。まあ要するに,「政治経済を斜め45度から切り取る人」である。

 エリート教育の中で青春を過ごしながらその流れに乗りきれなかった人間の多くがそうなるように,ワタシは「常に斜め45度」をモットーとしている。いや,「常に斜め60度」をモットーとしている。だから,ナンシー関とか小田嶋隆のようなコラムニストは大好きだ。ついでに言うと,木村和久とか泉麻人とかえのきどいちろうとか,つまり,「新人類」の「トレンドウォッチャー」はみんな好きだ。彼らが総じて持つ,常に片足感覚というか,シニカルなタイドというのは,いやらしいよなぁ,ズルいよなぁという理性が放つ嫌悪感を,「わかるわかる」という皮膚感覚が凌駕する。

 がこの中で,小田嶋隆に対してだけは,もっと複雑な感情を抱いてしまう。その理由は簡単だ。彼が,政治経済をターゲットとしているからだ。

 彼のコラムに触れるたびワタシは悔しいような情けないような気分になる。だって,「斜め60度」をモットーとしているにもかかわらず,こと話が政治経済になると自分が正面に回ってフロンタルアタックしていることに気づいてしまうんだもの。下手にこう普通よりは知識があっちゃったりするもんだから,いまだ「正統」路線を捨てきれない自分に気づかされるのである。小田嶋隆はちがう。どんなにホットな政治イシューでも常に斜め読み。小沢一郎も麻生太郎も小泉純一郎もデーモン小暮閣下とNHKも,ハケン切りもアラフォーも厚生次官殺傷事件も,すべて斜め読み。これを読むたび,くわぁぁぁぁぁぁぁやられたぁぁぁぁぁぁぁ,という気分にさせられる。そして,「どうしてこういうネタを真剣にしゃべってしまうのだろう」と反省させられ,挫折感に苛まれる。最近だと「ミスター渡り」の谷総裁。そうそうそうそうそう,こういうこと思ってたんだよぉぉぉぉ,という150%共感する記事を書かれちゃうのである。

 どうして政治経済の話になると真剣に異論反論オブジェクションしてしまうのだろう。このかっこ悪さは,自分の大嫌いな古舘伊知郎とおんなじじゃないか。彼は25年前,フジテレビで「ニュースプラスプレス」という深夜番組を持ち,そののちテレ朝で「ニュースフロンティア」という番組のキャスターをしていた。そのときはプロレスF1で培った「言葉の魔術師w」的切り口でニュースを斜め読みしていたのに,久米宏の後釜におさまった途端馬鹿みたいにまじめくさって(しかも的外れ)しゃべるようになってしまった。斜め45度からど真ん中を照らしていた人間が,ど真ん中から斜め45度に向かって語るようになってしまった。これはかっこ悪い。

 自分も変なプライドを捨てよう。完全にアウトローとして生きよう。そう決意した31歳の朝であった。

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2009年3月 4日 (水)

東京中央郵便局。

 時間がないのでざっくり書く。

 東京中央郵便局について。

 私の郵貯口座は東京中央郵便局で作ったものだ。ちなみに,みずほの口座は本店だし,三井住友の口座は本店営業部だ。三菱東京UFJの口座は東京営業部だし,三菱UFJ信託の口座は本店だ。中央三井信託も本店営業部で作ったものだし,住友信託も東京営業部に口座がある。

 というとってもニッチな口座マニア話はどうでもよくて,鳩ちゃんの憤りについてである。

 この話,ポイントは2つある。1つが「文化」のお話で,もう1つが「金勘定」に関すること。まずは「文化」のおはなしから。

 中央郵便局舎に価値があるのかどうか,という話はどうでもいい。土木野郎なので建築はよくわからん。文化庁が価値ある,っていうならそうなんじゃないの,って思うだけで。

 そんなこと以前に,そもそも行幸通りに高い建物建てるのってどーなの?という疑問があるのだ。

 東京駅の中央口から皇居和田倉門に向かう広ぉーい通りを行幸通りと呼ぶ。この愛称も格好いいけれど正式名称はもっとイケてる。「東京都道404号皇居前東京停車場線」という名前なのである。「東京都道」も「皇居前」も「東京『停車場』」も,田舎者の憧憬を誘いますね。「停車場」は「ていしゃじょう」でなく「ていしゃば」と読みたいところだ。70m以上の幅があって,とっても広い。これくらい幅広いのは都市防災上も非常に有効で,たとえば新丸ビルが火事になったとしても,丸ビルまで類焼する可能性はほとんどない。これが20mくらいだとヤバい。そんなこともあって,東京中央郵便局舎は空襲にも耐え,いまだ現存しておった。これはなかなか頑張っている。

 で,こっからが本題。戦前も,そして戦後もずーっと守られていた建築関係者の「自制」として,「行幸通りに高い建物を造るのはやめようよ。皇居を見下ろすのはよくないよ」というものがあったのだ。別におカミから強制されたわけじゃない,ってのがポイント。事実,この一角の容積率が極端に規制されている,なんてことはまったくない(これあとでまた出てくるから覚えておくこと)。これは景観系の人たちが得意げに話すネタでもあった。私は五月蠅い規制によってランドスケープをデザインしていく,ってのはあんまり好きじゃない。だからといって,楳図かずおハウスを積極的に支持するつもりもない。こんなの「自制」によって作っていくのが一番だと思う。そういう意味で,行幸通りとその周辺ってのはかなり理想的な空間だったのだ。

 ところがだ。今世紀に入ってから,不動産関係者から節操という文字はまったく失われてしまったのである。丸ビル,新丸ビル,オアゾ,東京ビルと猫も杓子も高いビルヂング建てまくり。不動産関係者ってのは世の中でもっとも節操のない,右往左往系の人種だと思っていたけれど(景気がいいときにイケイケドンドン。土地買って建物が建ったときにはもう不況,っていうおきまりのパターンを何度繰り返せば気がすむのだろう),それにしてもひどい。で,今度は東京中央郵便局。ここも高くするのかよ。いいかげんにしてほしいと思っちゃうのである。

 もう1つ。東京中央郵便局は日本初の郵便局だ。いわば「郵便局 of 郵便局」である。実際一昨年までは,それはそれは活気のある郵便局だった。書留を出すために利用するだけで,「あぁ,ここが日本初の郵便局なんだなあ。前島密だなあ」と,明治の先人に思いを馳せることができる郵便局であった。ところが,建て替え云々はともかくとして,もはやいまの東京中央郵便局にそんな機能はない。なんといっても,郵便事業はすべて銀座局に統合されてしまったし,ゆうちょ銀行は郵船ビルに移されてしまったのだ。つまり,仮に建て替えが中止になったとしても,東京中央郵便局が持っていた「生きる博物館」的な,社会教育的役割はもはや殺されてしまっているのである。「民営化万歳」な方々はそもそもこんなことを重視しないのかもしれない。だが,都市サービスの歴史的意義,「都市の記憶」の語り部としての役割は,まったく無視していいのだろうか。バランスシートだけ眺めていてもそんなものは計上されてこない。民営化,ってのはそういうことだ。

 次にお金の話。

 新自由主義者たちは「民営化すると効率いい経営ができる」なんぞと言っていた。はたして本当にそうなのか。まず,この再開発計画が昨年発表されたことに注目していただきたい。あなたが民間企業の経営者なら,昨年の6月にこのビルを建て替えようって思いますか? だって,完成するの2011年なんだよ。麻生太郎は「日本経済は全治3年」って発言して認識が甘いって叩かれたんだよ。日本郵政は「テナント埋まれば年間100億の利益」とかなんとかかんとか言ってるけど,ちゃんと市場リスクを考慮しているんだろうか。空きオフィス率が想定より高くなったら,建物大きくしちゃう分維持費かかるんだよ。こんな簡単なことも無視して「年間100億の利益」とか言っちゃうのである。道路公団の需要予測を叩くなら,この杜撰な将来予想も報道すべきだと思うのですが。

 もう1つ,「実は容積率を売れる」ということに着目してみよう。日本郵政によれば,だいたい1,200億円で売れるらしい。ここで「立て替えれば年間100億ずつ儲かって,容積率売ると1,200億なんでしょ。だったら立て替えた方がよくない? 12年で1,200億じゃん」と思ったあなた,ちょっと甘い。考えようと思ってめんどくさいから躊躇していたところ,友人からすばらしいメールが届いたので以下引用。

確かに超一等地だから、年間CF100億の割引率次第では、例えば5%で2000億だから建て替えの方が一見合理的であるように見える。しかし、これは「今すでにある物件」の計算であって、「これから建て替える」間はCFを生まないこと、さらに建設リスクや完工時の市場リスク、減価まで考慮すると大した差はない。例えば、CFを生むのが3年後、そして100億から年間1%ずつネットCFが減っていくDCFシナリオを5%で割り引くとちょうどNPVが1200億くらいになる。

 要するに,「立て替えたってちょっとずつ価値は下がっていくよね。それを考慮に入れたらちょうど正味の価値は1,200億くらいだよね」ってことです。だったら建て替える必要ないじゃん,って話にもなる。

 ただ,こんなことを考える日本郵政の気持ちもわかる。なんてったって,郵便局会社は(資産はともかく)収入がないのだ。郵政民営化によって,「郵便局」は,郵便事業会社,郵便局会社,ゆうちょ銀行,かんぽ生命の4つに分けられた。このうち,郵便局会社は極端に貧乏だ。たとえば,郵便事業会社は年間700億のプラスだけれど,郵便局会社は年間70億しか儲からない。そもそも郵政民営化によって分社化された時点で,「郵便局会社は不動産事業で稼げよ」と言われたようなものなのだ。これは国鉄をJRにするとき,貨物単独の会社を作らせたのと同じ構図である。要するに「あんまり儲からない部門を切り離し,不動産的事業で補塡させましょう」というものだ。

 これだけとってみても,郵政民営化は少なくとも「見直す」必要のあるプロジェクトだったことが浮き彫りになる。しかし,この国のマスコミは首相がそういう発言をしただけで一斉に叩くのである。なんということでしょう。特に日経。おい日経。昨日の社説はなんなんだ。私は最近,日経をはじめとする経済マスコミに本当に呆れている。こやつらこそ「国益」を害していると思う。日経とテレ東のタッグは,もはやプロパガンダの域に達しているぞ。

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2009年2月27日 (金)

サルでもわかるODA講座。

 日本のODA拠出額が少なくなっていることが問題になっています。

 このような国際統計はドルベースでまとめられることが殆どですから,円建てで語った場合どうなのか,という視点を常に持つ必要がありますが,今日ここでは問題としないことにします。キニナルのは,このような報道が為されたとき,特に「愛国的」とされる方々を中心として「どうせ捨て金なんだから一銭もやる必要なし」のような反応が少なからず見受けられることです。言うまでもなく,ODAは外交・通商交渉の重要なツールです。「一銭もやる必要なし」というのは一考にも値しない意見だと言ってしまっても構わない程度のものなのです。にもかかわらずどうしてこのような反応が起こりうるのかと言えば,それは「みんなイメージだけでODAのことなんてよくわかっちゃいない」ということが挙げられるでしょう。実際ODAについて議論しようと思っても,相手が「タイド」という言葉さえ知らなかったりする,という事態が結構なレベルでもあったりするのです。ところが,これらの案件に実際携わっている,あるいは携わったことのある方々は,言ってみたらエリートさんたちですから,どうしても説明が小難しくなってしまいます。そこで今日は,「サルでもわかるODA講座」を書いてみようと思います。

*************************
 ODAをざっくり2つに分けると,多国間援助と二国間援助に分けられます。このうち今日は二国間援助のお話を中心にしたいので,まずは多国間援助の方から片付けてしまいましょう,

 「多国間」援助,というと「いろんな国がいろんな国を助け合う」というイメージが思い浮かびます。それはまったく間違っていないのですが,ちょっと具体的にどんなことを指すのかわかりにくいですね。簡単に言うと多国間援助は「国際機関にお金を出すこと」です。要するに「みんなの役に立ちたいけど,細かいことはよくわかんねーから,お前さんにお金預けますよ。あとはちゃんと使ってくださいよ」という気持ちで,国際機関に拠出することを言います。「徹子の部屋」のユニセフ(←本当のユニセフ。アグネス・チャンとか国連大学みたいないかがわしいものとは違うユニセフ)特集を見て心を打たれた私たちは,何かしたいと思っても具体的にどうしていいかわかりませんね。そこで黒柳徹子を信じてみずほ銀行の口座にお金を振り込みます。これとまったくおんなじです。実際,ユニセフにお金を出すことも多国間援助の1つですし,ユニセフ以外には世界銀行とかアジア開発銀行,NGOなども,多国間援助の窓口となっています。

 ですが,一般にODAというとき示唆されているのは,これから説明する二国間援助の方です。二国間援助とは,その名の通り直截相手国を支援するものです。実は,これには大きく分けて3つの形態が存在します。1つが「お金」を「あげる」もの,2つめが「お金」を「貸す」もの,3つめが「技術」を「あげる」ものです。1つ1つ説明していきましょう。

 「お金」を「あげる」援助は,無償資金協力と呼ばれます。そのまんまですね。とりあえず今は寄附みたいなものだと思っておきましょう。

 「お金」を「貸す」援助は,借款と呼ばれます。円を貸しつければ「円借款」と呼ばれます。「ドル借款」とか「ユーロ借款」という言葉はあんまり聞かれませんね。日本にしてみればドルを貸すより円を貸す方が有利です。為替変動の影響を受けませんから,「返してもらったけど実は損しちゃった」みたいなことがありません。一般に日本は「借款の割合が多すぎる」と批判されます。つまり,「お前ら援助援助って偉そうな顔してるけどよー,金貸してるだけじゃねーか。くれてやってんなら援助っていってもいいけどよー。ちっと汚くねーかぃ」というわけです(「暴れん坊将軍」を見ながらこの文章を書いているので江戸の町火消しのような口調になってしまいますがご容赦を)。ですが,日本が世界の中で特に「金貸し」的だというわけではありません。「グラント・エレメント」という指標があります。これは「『貸してる』っていっても実際はどれだけ『あげてる』に近いか」を示すもので,100%に近ければ近いほど「あげてる」ことになります。友だちにお金を貸すことを考えるとわかりやすいでしょう。飲み会に行ったとき,たまたま隣の席の人間がお金を持ち合わせていなかったことを考えてください。あんまりよく知らない相手だと「1万貸すけど必ず来週返してね」と言いたくなります。この場合,グラント・エレメントは低くなります。「貸してる」感覚が強いですね。ところが,毎日顔を合わせる,しかも気の置けない親友だと「まあ返すのはいつでもいいよ。今度の飲み会のとき逆に出してくれればそれでもいいし」となります。こういう条件だと,グラント・エレメントは高くなります。「あげてる」に近いと見なされるわけです。この数字で見ると,日本のグラント・エレメントは70%くらいです。これはだいたい世界の平均と同じくらいですから,特に日本が突出して「金貸し」に走っているというわけではありません。また,政府貸し付けには「債務繰り延べ」つまり「昔貸したお金,そろそろ返してもらわなきゃいけないんだけどあんたまだ苦しそうだからもうちょっと待ってあげるよ」というのも計上されますから,借款だからといって一方的に非難するのは正しくありません。

 「技術」を「あげる」援助は,技術協力と呼ばれます。これには機械をあげたり,人を派遣したり,のようなものも含まれます。「アフリカの砂漠で井戸掘り」みたいな例で思い出される青年海外協力隊などが典型ですね。

 ここまでの説明で,なんとなくODAの全体像がわかってきたのではないでしょうか。でも,これだけをもってODAを語るのは正しくありません。ODAは「どんな条件が取り決められているか」が,とっても大事なのです。

 タイド,とアンタイド,という言葉を知っておく必要があります。タイドといってもブラックタイド(ディープインパクトの兄,「黒潮」の意)のタイドではありません。ネクタイのタイ,tieです。つまり,タイドとは「つながっている」,アンタイドとは「つながっていない」ことを意味します。

 ODAの多くがある建設プロジェクトに対して拠出されます。ダムを造ったり橋を架けたり,という一般的なイメージをそのまま思い出してくれればよいでしょう。ODAにタイド条件がついている場合,実際に工事するときの業者や材料を,支援国しか調達できません。つまり,「お前,車必要なのか。でも金ないのか? じゃあ金貸してやるよ。その代わりうちの実家がディーラーだから,そこで車買ってくれよ」みたいな感じですね。なんとなくあくどい印象を持つかもしれません。「ODAなんて政治家と財界が癒着しててキックバック云々…」と言う人は,暗黙のうちにこれを想定しているわけです。

 アンタイド,というのはその逆です。部分アンタイド,というのもあるのですが,わかりやすくするため,ここでは一般アンタイドについて説明します。これはどの国がお金を出したかにかかわらず,世界中どんな国でもその工事を請け負っていいですよ,というものです。いっせーのーせでみんなが入札して施工権を獲得したりするわけです。なんとなくこっちの方が公平な気がします。だからこれまで,タイド条件付きの日本のODAを非難する人が,日本人の中にも多く存在しました。不透明だ,コスト高だ,癒着の温床…,タイド条件は悪の親分のように言われてきたわけです。

 ところが,日本のODA=「汚い」,というイメージに反し,日本のODAは世界でも稀なくらいアンタイド案件が多いのです。実に,ODA全体の9割がアンタイドになっています(正確な数値は「国際協力便覧」でも見てください)。例えばアメリカのアンタイド率は3割程度ですから,日本のODAはいかにアンタイド化が進んでいるかおわかりになると思います。これにはいつくかの原因が考えられます。まず,日本は1972年(!),既に原則アンタイド化を閣議決定しているのです。また,2001年にOECDで「貧乏な国へのODAにタイド条件つけるのはやめようよ」ということが提案され,日本もこれに賛成しています。さらに,国際的な「空気」として,「『あげる』場合にはタイドでもいいけど『貸す』場合はアンタイドにしなきゃね」,みたいな暗黙の了解があるのです。先に述べたように日本は,(実態はともかく)借款の割合が高いので,おのずとアンタイド率が高くなるのです。

 アンタイドでもいいじゃないか。公明正大な入札で日本企業が落札すればいい。とお思いの方も多いだろうと思います。ところがことはそう簡単じゃありません。一般に,日本の企業は極端に安い金額で応札しません(この理由はあとで説明します)。また,「談合」とまではいかなくても,このような交渉ゲームにおいては「コネと根回し」が大変重要です。「コネと根回し」を日本のお家芸と思っている方がいるかもしれませんが,現実は全く逆です(このような間違った「日本像」は,一体ぜんたい誰が吹聴したのでしょう)。外交・通商交渉をはじめとして日本は「コネと根回し」をとても不得手としています。そのため,「日本が金を出したプロジェクトを別の国に取られる」という事態がかなり多く存在しています。

 ここまで話したことから,日本のODAを取り巻く問題が少しずつ明らかになってきたのではないでしょうか。要するに「金だけ出してまったく見返りがない」事例の多いことが問題なのです。

 もちろん日本側にも問題はあります。その1つに「日本の工事は高コスト」というものがあげられます。これは,単に日本の工事は丁寧で品質が高く,人件費も高いからというだけでありません。日本のゼネコンは,いわゆる「出来高払い」を採用しないことが多くあります。出来高払いとは,少し作ったらその分お金を払う,またちょっと作ったらお金を払う,という方法です。なんとなく「作らなくちゃ」という気になりますね。ところが日本は工事の前と後にぼーん,ボーンと2度お金の遣り取りをするだけだったりするわけです。ちょっと考えてみてください。「1万円あげるから勉強しなさい」と言われて先にお金もらった場合,勉強する気になりますか? そのお金握りしめて大井競馬場に行きたくなりますよね。ユキチャンからの3連単とか買いたくなっちゃいますよね。それに対して,「この年度の過去問解いたら1,000円あげるよ。次の年度の問題やったらまた1,000円あげるよ」と言われたらそりゃあちょっとはやる気になります。実際,出来高払いを採用している中国企業がサクサク案件をこなしている一方,日本企業は金を払ってもなかなか現地工事が進まない,あるいは施工が終わっているのに工事代金を回収できない,といった問題に悩まされているという話も耳にします。

 また,先に述べたような交渉力不足も問題です。何が何でもグローバル・スタンダードというのがおかしいのはもちろんですが,ゲームのルールに合わせてこちらが工夫しなければならない点も数多く存在するはずです。たとえば(説明していない)部分アンタイドを技術協力との抱き合わせで獲得するなどのたくましさはあってしかるべきと考えます。

 そして何より,ODAの問題が,実は国内手続きにおいて,くだらない省益争いに巻き込まれやすい,という点を指摘しなくてはなりません。他国と喧嘩したくない外務省,できるだけ日本企業のためになりたい経産省,なるべくお金を出したくない財務省,の3すくみに巻き込まれ,新ODA大綱以降もそもそも政府として統一した方針のもと動いているのか,という点ではなはだ疑問が残ると言えましょう。

 ですが,いずれにせよ大事なのは国民一人一人がODAについて正しい理解を持つことです。外国との競争に打ち勝つのも,不毛な省益争いを監視するのも,政治家の過度な介入を回避するのも,すべて国民の意識にかかっているといっても過言ではありません。「愛国的」な人々が「一銭も出さなきゃいい」とうそぶいているうちは,「国益」とやらに真にかなう政策が実施されるはずもないのです。「お金は出さないよ。この領土はうちのものだよ。あのガス田の権利はくださいね。日本の国際的地位をもっと高めてね」というのは,いくらロジックとしてそれなりに合理的であったとしても,「そんなわがままは通らない』という国際的合意が為されている限りにおいて,日本にとって実に無益なものなのです。外交交渉で強気な発言を言い放つには,それがまかり通る環境整備が必要です。そのようなことを回避し,「出しません。もらいます」では,それこそ「愛国」的な人たちが忌み嫌う某国の振る舞いと,なんら変わるところがないだろうと思うのです。

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なんだかなあ…。

 東京都に住んでいる人は、都内のどこに住んでみたいと考えているのだろうか? ネクストの調査によると、1位は「吉祥寺」、2位「自由が丘」、3 位「恵比寿」であることが分かった。ちなみに同社が2007年に実施した調査でも、「吉祥寺」「自由が丘」「恵比寿」が「住みたい街」のトップ3。2年連続でトップ3の順位が変わらなかったわけだが、その街を選んだ人たちはどういった点を評価したのだろうか。

 「吉祥寺」を選んだ人たちは「交通アクセスのよさ」「駅前の発展した商圏」「緑の多い住環境」などを高く評価。また1人暮らしの層からファミリー層まで人気が高かったが、特に女性からの支持を集めた。「自由が丘」については「おしゃれな街並み」や「住環境のよさ」のほか、「東急東横線のブランド力」などを選んだ理由に挙げる人が目立った。吉祥寺では女性からの人気が高かったが、自由が丘については男性からの支持が高い。「恵比寿」はJR山手線、埼京線、東京メトロ日比谷線が使えることや、都心で緑が多く残るオシャレな街並みであることが人気の秘密のようだ。

 インターネットによる調査で、東京都内に在住する20歳以上の男女4607人(男性2141人、女性2466人)が回答した。調査期間は2008年11月28日から12月2日まで。
住んでみたい理由から見えてくる志向

 都内で住んでみたい街として、中野や田園調布、成城学園なども人気が高かったが、トップ10に選ばれた街に、共通した理由はあったのだろうか。多くの人は「交通の利便性」や「都心からの程よい距離感」、「アクセスのよさ」といった理由を挙げた。「渋谷、新宿、池袋、銀座などのビジネスや買い物などの拠点となる都心の街への交通の利便性は確保しつつ、自分らしいライフスタイルを送ることができる街に人気が集中している」(ネクスト)

 住んでみたい街と理由の関連性を分析したところ、中央線沿線を選んだ人は「にぎやかな街志向」、世田谷周辺については「穏やかなプチ郊外志向」、城西・城南地域を中心を好んだ人は「おしゃれで便利志向」といった傾向が浮かびあがった。
[Business Media 誠]


 「住みたい街」については2年くらい前に憤った気がするので割愛。注目したのはこの図。

Yd_chart_2

 世の中にはこういう図を作って「仕事したー」「いいプレゼンー」と悦に入る方々が結構いるような気がするのだが,こういうお笑いコンサル風潮ってのはいつから生まれたんですかね。やっぱりアレなんだろうか。子供の頃からNHKのニュースとか見て,当時最先端のCG眺めて「わかりやすーい」とか感動していた人たちがパワポと出会うとこうなっちゃうんだろうか。

 いや,別にこういう勝間和代的(←自己満足でしかも大した仕事してない)な図でも,そのおかげでわかりやすくなるんだったらそれはそれで別に構わないんですが,ちっともわかりやすくないし。配色からフォントからとりあえず○で囲ってノードを線でつないどけみたいな心持ちからすべてが合わない。

 まあこういうセンスの人たちが「住みたい街」とか言ってそれに踊らされる人がいるってわけで,なんだかほんと悲しくなりますね。成城学園からぴゅっと伸びたところにある,○囲みの「セレブ」って文字が虚しいよ。

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2009年2月26日 (木)

似而非がはびこるのは許しがたい。

 私は日本語についての論説空間が大嫌ひである。

 それは私の國民國家ぎらいと通底してゐる。だいたい大方の國民が「日本的」だと信じてゐることなんて,その多くが明治以降,一部の特權階級によつて人爲的に形成されたものなのだ。「日本語」だつておんなじである。つい百數十年前までは川向かうの隣町と異なつた言葉をしやべつてゐたといふのに,なにが「正しい日本語」だ,なにが「日本語の危機」だ,馬鹿ぢやないかこの似而非インテリが,と鼻白みたくなるのである。私は「ご苦勞樣お疲れさま問題(←いま勝手に命名した)」について大昔から憤つてゐるけれど,それは正當か不當であるかを批評してゐるのではなく,いかにもそれらしい理屈をでつち上げることによつて信憑性を上向かせ,善良な大衆を欺きながら私腹を肥やす道具にする輩に嫌惡感を抱くだけなのである。明治期の知的エリートに對して充分すぎるほどの敬意と憧れは抱いてゐるけれど,彼らによつて作り上げられた國家,及びその箱の中で運動する人々の變化した性質といふものを私はまつたく評價してゐないのである。したがつていきほひ「日本語について語ること」「日本語について語る人々」と距離を置きたくなるのだ。元來,ことばなどといふものは,成長とともにをのず必要に迫られて身につけるものである。そんなものに小理屈を附すのは野暮なのだ。

 ところが,私は丸谷才一先生を心の底から尊敬してをる。丸谷先生といへば,小説作家としての眞の姿より,エッセイスト,あるいは日本語批評家として輩出した作品群がよく知られたお方である。だから「丸谷先生が好きだ」と言ふと「お前さつき日本語について蘊蓄垂れる人間は嫌ひだと言つただらバカヤロー」といふヤジが飛んでくるやうにも思ふのだけれど,そいつはちよつと結論を急ぎすぎだ。先に述べたやうに,ことばといふのは自然無爲に習得するものである。といふことは,特段身體的精神的事情のない限り,殆どの人間が「ことば」といふものを用ゐて生きてゐる。だから,ことばについていろいろ言ひたくなる衝動に驅られるのはよくよく理解できる。こゝいらあたりの構造は,教育を巡る論説空間とおんなじものがありますね。にもかゝわらず,いやもとゐ,であるがゆゑに,ことばについて語る人々はその「ばかばかしさ」を存分にわかつた上でしやべる必要があると思ふのである。少なくとも明治以降多くの知識人はさうしてきたし,丸谷先生はその集大成のやうな存在なのである。

 丸谷先生の隨筆をご覽になつた方ならばすぐさまわかると思ふのだけれど,丸谷先生の文には獨特の癖がある。いやこの表現は正しくない。丸谷先生の文章が釀し出す空氣,またその空氣に觸れることで傳はつてくる先生の立ち位置,姿勢みたいなものがきはめてオリジナルなのである。そいつを一言で言ふのは無理があるのだけれど,それを承知で無理に言へば「いさぎよさ」みたいなものだらうと思ふ。輕妙洒脱な文體を通して「偉さうにこんなこと言つてるけど,要は好きなものを譽めきらひなものに文句を言つてるだけだわひ」といふどつしり腰を据ゑた「眞のインテリジェンスの姿が浮かんでくる。先生の頭腦の中にはとてつもなくたくさんのことが詰まつてをり,知識量より判斷力行動力が問はれるやうな今の嘘知識人の到底持ち合はせ得ない鷹揚さがある。一見憤つてゐるやうでゐても先生自身がその限界をよくよく承知していらつしやるのである。私が親しみ愛する日本近代文學者は夏目漱石,志賀直哉,横光利一だけれど(我ながらこのセットはとても均衡が取れてゐると思ふ),その三者の爲すトライアングルの中心には,いつも丸谷先生がゐる。私の「日本語觀」は,さういふものをベースにしてゐる。

 ところが昨年來以降,一部知識人ぶつてる人のたむろする界隈(特には○な界隈)で,その對極のやうな「日本語」ブームが起こつてゐたらしいのである。さつきから繰り言してゐるやうに,かういふ言説たちに何か言ふやうなこともしたくないのだけれど,それらを昨日眞劍に讀んでみたらあまりに酷い。本當に嘘ばかり,フェイクばかり,勘違ひばかりだわひと憤懣すること甚だしかつたのである。あまりに腹が立つたのでこれからちよくちよく日本語について書くことにする。丸谷先生に敬意を表し歴史的假名遣ひを採用するが,私はなんの教養もないゆとり人間である。正式な假名遣ひなど知るはずもない。そこでmisimaといふ變換サイトを使ふことにした。所詮機械の爲すことであるから百パーセント完璧なはずがない。だがたとへ間違つてゐても何處がをかしいのか私にはわからない。假にめちやくちやな假名遣ひになつてゐても,お願ひだから眞劍に私を批判しないでくれ。

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2009年2月25日 (水)

デイヴ・グルーシンの憂鬱。

 B.G.M.を大事にしよう。

 声を大にして言いたいのである。我が国の国民は,インストルメンタルを邪険にしすぎるきらいがある。「我が国の国民は」と書いたけれど,すべてにおいてドメスティックに生きている私は海外のサブ・ミュージック事情をよく知らない。「語りえないことについて人は沈黙せねばならない "Wovon man nicht sprechen kann, darueber muss man schweigen"」とウィトゲンシュタイン大先生もおっしゃっているので,ここでは範囲を日本に限定して語ってみよう。

 B.G.M.,バックグラウンドミュージックである。こいつは至る所でかかっている。テレビを視てりゃニュースの特集の裏にポロポロピアノの音が聞こえてくるし,天気予報のコーナーにはいかにも「それっぽい」曲がかかっている。寒い冬にダッフルコート着た君と原宿あたり風を切って歩いても,君が完全にはしゃいでしまう東京タワーから続いてく道をドライヴしても,大抵なにかしらの曲がかかっている。オザケン的おしゃれさと決別して東京モノレールに乗り,羽田空港…まで行くとちょっとまたオシャレになっちゃうから大井競馬場前で降りてお馬さんを見つめても,ちょいと平和島で水遊びを愉しんでも,そこにはインストルメンタルの音楽がかかっている。

 だがしかーし,そこで流れている曲は,文字通り陰で「消費される」曲なのである。その場の機能をまっとうしたら記憶から消去されてしまう類の音楽なのである。そういう曲だからB.G.M.として使われるのだ。B.G.M.として使用される曲は本質的に「残らない」という宿命を背負っている。

 そういう意味で,我が国でもっとも不幸な3大アーティストに,CASIOPEAとT-SQUAREが挙げられるだろう。真剣に聴くと彼らの曲は本当にすごい。すごすぎるくらいすごい。特に本田雅人在籍時のT-SQUAREなんて,神が降りてきているんじゃないかと思わせる瞬間がたびたびある。すごすぎるのがデフォなので,伊東タケシが普通に吹いてもみんなバッシングしちゃうのである。ところが,この「すごい曲」はどこでかかっているか。その扱いが酷いんですよ。競艇のダイジェストだったり,競馬番組のオープニングだったり,もっとも多いのがスーパーの有線。だからニコニコにT-SQUAREの曲が上がってたりすると,必ずと言っていいほど「イオン」とか「ジャスコ」とか「ヤオハン」とかいうタグが附されているのである。

 「もっとも不幸な3大アーティスト」と書いてまだ2組しか紹介していなかった。最後の1人が今日の本題,デイヴ・グルーシン御大である。この人の曲も,誰もが「100回は」耳にしているはずだ。にもかかわらず本邦での知名度は非常に低い。「おっ,この洋画の音楽ちょっといいな」と思うとグルーシン先生の担当していることはしょっちゅうある。にもかかわらず,グルーシン先生の名を知る人はほとんどいない。

 実際,とってもかっこいい曲なのである。すごく透明度の高い響きで,それでいて「おっ」と思わせるコード進行が多く,耳馴染みがいいのに飽きない。完成度が非常に高いのだ。「あー,これが清く正しいスムース・ジャズだなあ」と思うこと請け合い。CDかけて湾岸沿いの高速なんか走っちゃうと (少しかたはらいたしな感じはするんだが) 気持ちいい。昼でも夜でも気持ちいい。

 お願いだから夕方のニュースの「激安ランチ特集!」だとか,地方U局の天気予報だとか,そういう場面でデイヴ・グルーシン先生の曲を使うのはやめてくれ。TVだと低音が消えちゃうから安っぽくなるんだよ。いや,やっぱりこういう名曲は広く共有されるべきだから別に使われてもいいな。HD化されてせっかく画面広くなったんだから,「いま流れているのはデイヴ・グルーシン先生の曲です。いい曲だと思ったら是非買いましょう」みたいなテロップを出せばいい。

 そうそう,だいたいこの手の曲ってすごく買いづらいのだ。だって,CDショップのどのコーナー行けばいいかわからないんだもの。ジャズのコーナー行ってもないし,インストのコーナー行ってもないし,サントラのコーナーに行くと…担当した作品のサントラは売ってるけど,それでもデイヴ・グルーシン先生のベスト・アルバムみたいなものは置いてない。仕方がないからAmazonのお世話になるしかない(ほんと便利になった)。

 で,どうしてこんな現状なのかといえば,日本国民がB.G.M.というものを軽視している所為なのである。もっとB.G.Mを大事にしよう。グルーシン先生が泣いてるぞ。

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2009年2月20日 (金)

糞ゴミに生き残られし我が書斎。

*今日のエントリは基本的にネタなので,これらに対してまともな突っ込みや反論は不要です。また,精神的にどうかしちゃったんじゃないかという心配も無用です。
********************
 @nifty,DTI,so-net,iijと私がISP (インターネット・サーヴィス・プロバイダ) に「4つ」加入していることは以前書いた。4つ使いこなしているとは到底言い難い現状であるが,ネットジャンキーとしてはこのように「自腹」を切って各社のサーヴィスを実態に比較「体感」することこそ重要であって,そのようなリスクを取らずに「東洋経済」だとか「日経BP」に入社したいと考えるのは間違いなのである。そんな人間はマキノ出版で「特選街(*注1)」の担当になることもできまい。

 ところが,私のネット関連無駄遣いはこれに留まらない。なんと我が家にはNTTの電話回線が「2回線」存在するのである。電話機が2台あるのではない。正真正銘2つの回線契約をしておる。プライヴェイト用とビジネス用に使い分けているのならかっこよかったりもするのだが,別にそんな使い分けはしていない。ではなぜこんな無駄遣いをしているのか。答えはたった一つである。そこにメタル回線と光ファィバーが存在するからだ。2つあったら2つ使いたい。日本の「至宝」であるところのNTT銅線ネットワークと,NTTが誇る「技術の視野」に裏打ちされたオプティカルファイバーを両方堪能したい。ただただこれだけの動機から2回線契約している。正確に言えば1つが父親名義で1つが自分名義なのであるが,利用料金を払っているのは間違いなくどちらも私である。しかしNTTの「技術革新」に対して対価を払っていると考えれば安いものだ。武蔵野研究所の研究員の頑張りに対して月1万円が出せないというのであれば,それはフリーライドと同じである。ここはひとつ「社会的内部相互補助(*注2)」の観点に立ち,余計に料金を払ってやろう。そうすることによって,山奥の集落に光回線が敷設されるのであればこれほどうれしいことはない。「公平と公正」の観点に立てば当然導き出される結論である。新自由主義者にはこれがわからないらしい。

 だが,ここ一ヶ月くらい,従来の銅線ネットワークを利用しているADSL ("Asymmetric (=非対称!!)" Digital Subscriber Line) の調子が極端に悪くなった。それまではQuad Spectrum (超近距離) に設定しておいても快適に繋がったのに (およそ20Mbps:経路長1.1km,減衰21db),Annex.I固定 (近距離) にしてもダメ,それどころかG.dmtでも不安定で,夜中など酷いときにはG.Liteで固定してもあやしいことがある。G.Liteの場合リンクが確立すれば流石に規格フル速度が出るけれど(下り1.5Mbps,上り512kbps),47Mbps契約なのに下り1.5Mbpsを甘受することはできない。こんな酷い品質のインフラストラクチュアがあるだろうか(*注3)。流石アメリカ肝煎りの技術と腐したくもなるが,実の話一番怪しいのはガス検知器である。それまでは近所のガス屋が目視で検知していたのだけれど,其処のオヤジが癌で倒れたにもかかわらず息子が後を嗣がなかったため,なんだかでかい会社に業務委託されてしまった。せっかく人間味溢れるプロパンガスだったのに,なんのメリットもなくなってしまったわけだ(*注4)。こういう田舎の個人商店が廃業に追い込まれてゆくさまを見るのはなんとも切ないものがある。アマルティア・セン教授やジョセフ・スティグリッツ教授(*注5) だったらどんなコメントをするか興味深いところであるが,悲しいかな我が国にはアメリカのメッセンジャー( *注6)のごとき経済学者しかいない現状である。田舎の個人商店が細々とでも営業を続けられる環境整備が社会的「厚生」の観点からして望ましいか望ましからぬかなど一目瞭然,小学生でもわかりそうなものなのに,彼らはまったくありえないような仮定をもってして「公正競争」云々とぶちまけるのである。このおかしさを日本できちんと指摘しているのは知る限り鈴村興太郎先生(*注7)ただ一人である。と,iTunesから流れる曲がはっぴいえんど (このあいだ元メンバーが逮捕されて何故かCD販売自粛とかいう馬鹿げた決定が為されたところのそれ) の「風来坊」に変わったところで話を元に戻そう。ある日帰るとデジタル印字された検針書が勝手に投函されていた。それ以降リンク切れが多発するようになったのである。

 ノイズフィルタを買ってきたり,モジュラーケーブルをツイストペアのクソ高いのに交換してみたり,フェライトコアを噛ませてみたり,モデム近辺の壁とモデム本体をアルミホイルで覆ってみたり,と素人でも可能なありとあらゆる対策をしてみたものの,状況はどうにもこうにも改善しない。もうあんまりあったま来たからついに価格コムのページを開き,FTTHをぽちってやった。ISPは今度も日商岩井(*注8)と富士通というあんまりうれしくない企業の合作であるところの@niftyにしてみた。なんだかんだいって大昔から使っているniftyのIDがもう身体の一部になってしまっており,こいつを失うわけにはいかないのである。

 せっかくダブルFTTH化したけれど,ひかり電話の申し込みは止しておいた。やはり固定電話は残しておきたい。「インターネットに繋がらない」だとけんもほろろなくせに「電話にノイズが乗る」と電話をするとすっ飛んでくるNTTのことだからひかり電話に変えてもかなりの品質が維持されるだろうことは充分に予測されるものの,やはり120年の歴史を誇る固定電話は維持しておく必要がある。停電しても「必ず」繋がるNTT固定電話を残しておくことは,社会基盤整備の根幹要件である「冗長性」の確保と直結する(*注9)。インフラストラクチュア評論を生業とする(*注10)身として,固定電話の維持は社会的責任の全うなのである。したがって,ADSL時代のIP電話をそのまま使うことにした。これならば従来回線と併用できる。

 私の利用しているIP電話はniftyフォン-Fというものである。これはぷららを主体とするIP電話網だ。ところがniftyにはniftyフォン-Cというやつも存在する。こやつはNTTコミュニケーションズ系列のIP電話網だ。いまはそんなことなくなったけど,この2つ,以前は相互接続できなかった。どちらにするか迷ったとき,加入事業者数では若干不利だが米国への通話料が安い (¥2.5/min) niftyフォン-Fを選択したというわけだ(*注11)。

 ところが,である。みなさんよくご存じの通りぷららの筆頭株主はNTTコミュニケーションズである。で,NTTコミュニケーションズはNTTの全額出資によって成立している。こいつらがそれぞれIP電話網を持っているわけだ (NTT本体には「ひかり電話」が存在することに注意せよ)。言ってみれば孫,子,親の3代が領土紛争をしているようなものである (平成21年2月20日4時58分ここまで記述。そろそろ眠くなってきた。30を過ぎて肉体的に無理が利かなくなったのがとてもつらい)。(以下,平成21年2月20日14時58分執筆再開。大井競馬(*注12)でもやろうかと思ったのだが楽天銀行の閉鎖に伴い今日から3日間楽天競馬が利用できない。競馬はしかと開催しているのに。これも「民の論理」なのか)。そしてこれらが完全に相互性を確保しているとはとても言い難い状況だ。このような事態が米国の言いなりとなって「公正競争」を図った結果なのである。この結果エンドユーザに与えられたのは低廉な料金というメリットだけでない。「わかりにくさ」という最大のデメリットを重視する必要がある。どれほどの人間が自宅の電話の現状を把握しているだろうか。マイラインプラスの加入争いが激化したあたりから,もうよくわからなくなっている人の方が多いのではなかろうか (「うちはNTTのままだ」とか言っていてもいつの間にかマイライン登録されていて県内通話と県外通話では別事業者を利用していることなんて理解していないユーザの方が多かろう)。「わかりにくさ」はいきおい「わかっている人間」と「わかっていない実直な人間」の不衡平を招く。「わかりにくさ」はまた,「使いづらさ」とも直結する。日本の固定電話の衰退を携帯電話の進展とのみ結びつける短絡的な記事が巷間あまた横行しているが,「わかりにくい」から「使わなくなった」という側面を,新自由主義者は意図的に隠しているのかあるいは目を背けているのか,それともそのような「事実」が存在していることに「気づいてさえいない」のか。

 と,ここまで至極冷静に「事実」のみを議論してきたが,現在の私が抱える最大の問題は「公正と衡平」でもなければ「これからのテレコム」でもない。「シルバー精工事件とその顛末」でもなければ「AT&Tの再巨大化」でもない。私が悩んでいるのはただ一つ。「NTTの工事をどうやり過ごすか」である。というのも現在モジュラージャックのある部屋は「物理的に」這入ることができない。平均50cmから60cm近く本とゴミが積雪しており,工事のオヤジは腰を抜かすだろう。ならば片付ければいいのだが,気分が乗らない。

 崩れやすきは片付けようという信念(*注13)

***********************************
*注1:「デジカメ」と「オーディオ」と「パソコン」と「薄型テレビ」を中3ヶ月のローテーションで多用する往年の金田正一のような雑誌。
*注2:皮肉なことにこれを書いているちょうど今TVからアリコのCMが流れてきた。
*注3:旧タコマ橋 (Tacoma Narrows Bridge) があったりする。
*注4:田舎の料理好きは熱量の弱いプロパンというハンディを背負うことに注意せよ。
*注5:「○○教授」という表現を使いたかっただけ。
*注6:「アメリカのメッセンジャー」と言ってみたかっただけ。
*注7:「鈴村興太郎先生」と言ってみたかっただけ。是非ノーベル賞を。
*注8:「ここが底だろ」と思って株を買ったらその後もズルズル下がり続けついには双日になってしまった記憶しかない。あと昔石田ひかり主演の「悪女」というドラマ(NTV系)で,社屋が使われていたような記憶が…たしかではない。
*注9:第二東名とかリニアとか,とりあえず「冗長性」と言っておけば正当化できる。
*注10:してない。
*注11:今となってはアメリカに居住するまともな日本人はみんなSkype使うから余り意味ない。
*注12:バグパイプウィンドおめでとう。
*注13:敢えて字余り感を出してみた。

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2009年2月18日 (水)

酔っ払いと核のボタン。

 みんな鬼の首を取ったように中川昭一を批判しているけれど,どうも矛先の向きが違っているように思う。

 中川昭一がああいう人だということはもうとっくの昔からわかっていることであって,そりゃあまったくもって誉められた姿でないけれど,国賊呼ばわりするようなものでもない。「日本の恥」とか「大臣の資質云々」と言ってる人たちは,つい何年か前まで,もっと酷い程度でアルコールを好むお方が6,000発近い核のボタンを握っていた事実をちゃんと批判したんですかね。未曾有の金融危機への対策を話し合うG7での醜態とかなんとか言っているが,そもそも今金融危機が「未曾有」だという根拠はいったいどこにあるのだろう。それに対し,もんのすごく強大な軍事力がそれこそ「未曾有」のレベルで求心力を失った状態や,少なくとも90年代においては最大であったところの金融危機に瀕したときも,北の大地のウオッカ好きなおじさんが世界で双璧を為すところの国家のトップにあり続けていたことは厳然とした事実である。ところがそんな状態にあった彼の国が世界から「舐められて」いるなんて感じられなかったわけで,この事件で日本がバカにされているなら(それが本当に本当ならば),その原因を大臣個人の資質,行動に帰すのはまったく正しくなく,日頃我が国がみっともない外交を展開しているからであろう。

 と,「みっともない」などと言ったのには理由がある。本事件,大臣よりも責められるべきは事務方でないか。中川昭一は会見の冒頭からおかしかった。ということは会見の直前既におかしかったと考えるのが自然である。ならばどうしてあまた同行する事務方のお役人たちは,会見への出席を自重させられなかったのか。まさか全員が酔っぱらっていたわけでもあるまい。酔った(ように見える)人間が正常な判断のできなくなることは理解できるが,国民の禄をはむ優秀だとされる素面の随行者たちがこれを制止できなかったことの方が,よほど我が国にとっちゃ問題じゃないか。

 「止め『られ』なかった」のであれば,日本の官僚機構はやはり組織と意思決定プロセスに問題を抱えている,ということになる。「(敢えて)止めなかった」というのであれば,これはもうクーデターに近い所業である。前者はイージス艦「あたご」の事故と同一の構造を持っているし,後者だとすると人事院の谷総裁なんかよりずっと酷い官僚の横暴ということになる(谷の振る舞いは一定の正当化事由を持ちうるが,今回の件はまったく申し開くところがない)。にもかかわらず,マスメディアはこの点を批判しない。エリツィンに対してバッシングのキャンペーンを張り,「あたご」に端を発する防衛省の問題をスルーしたのであればそれなりに筋の通った姿勢だと評価するが,これじゃ取り敢えず美味しいネタがありゃお腹いっぱいになるまで叩いとけ,ってだけじゃないか。いっつもそうだけど。

 ロキソニン,睡眠導入剤と合わせて飲みゃ,ワイン一杯でああなってもおかしくないと思う。デパスとかアモバンあたりのそれなりに普通の人にゃ強そうな薬じゃなくてもね(ついでだからいつも言ってることを書いておくが若者に抗鬱剤を安直に出す風潮はいかがなものか。いきなりSSRIとかSNRIを出すんじゃなくて,デパスとかリーゼあたりのマイナーとか,それでも強いからワイパックスとか,場合によっちゃただ単に小麦粉与えてもいいんジャマイカ)。というか,本当に体調がよくなさそうなので,辞めたのは正解でしょう。あたしゃはじめ脳梗塞かと思ったぞ。

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2009年2月16日 (月)

国益。

 中川一郎の息子が酒を飲んだらしい。

 この時期にああいう場で泥酔(と思われる)状態を晒してしまったことや,リーダー本人以上にそれを支えるシステムの脆弱が日本に対し思うところは結構あるのだけれど,それとはちょっと別の話。

 最近,政治家や政策を批判する際,「国益に反する」という表現の使われることが多い。今回の中川(酒)のニュースにおいても「この言動は日本の国益に反する」と批判する人間を複数人確認した。だが,私はこの表現,あんまり好きじゃない。

 記憶する限り,田中真紀子が外務大臣就任の記者会見で「外務大臣の職責は国益を護ること」と発言して以来,「国益」という単語は多用されるようになった。右も左も上も下も,いまやみんなが「国益」の大合唱だ。

 ところがこの「国益」,何を象徴するのかイマイチはっきりしないのである。きわめて強いインパクトを与える価値表明を為す言葉のくせに,いやむしろそれがゆえに何を指示するのかが茫漠としている。何かを批判するときにこういう意味内容の拡張が容易な言葉を借りてくるのは,危険であるし卑怯であると考えるのである。

 だって,「国益に反する」って「お国のためにならない」ってことですよ。それこそ朝日新聞のお嫌いな軍靴のかをりがするじゃありませんか。

 「よくわからないけどなんとなく」嫌いなものを批判できたり支持できたりしてしまう「国益」って言葉,もっと慎重に使うべきだと思うのである。

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