日本のODA拠出額が少なくなっていることが問題になっています。
このような国際統計はドルベースでまとめられることが殆どですから,円建てで語った場合どうなのか,という視点を常に持つ必要がありますが,今日ここでは問題としないことにします。キニナルのは,このような報道が為されたとき,特に「愛国的」とされる方々を中心として「どうせ捨て金なんだから一銭もやる必要なし」のような反応が少なからず見受けられることです。言うまでもなく,ODAは外交・通商交渉の重要なツールです。「一銭もやる必要なし」というのは一考にも値しない意見だと言ってしまっても構わない程度のものなのです。にもかかわらずどうしてこのような反応が起こりうるのかと言えば,それは「みんなイメージだけでODAのことなんてよくわかっちゃいない」ということが挙げられるでしょう。実際ODAについて議論しようと思っても,相手が「タイド」という言葉さえ知らなかったりする,という事態が結構なレベルでもあったりするのです。ところが,これらの案件に実際携わっている,あるいは携わったことのある方々は,言ってみたらエリートさんたちですから,どうしても説明が小難しくなってしまいます。そこで今日は,「サルでもわかるODA講座」を書いてみようと思います。
*************************
ODAをざっくり2つに分けると,多国間援助と二国間援助に分けられます。このうち今日は二国間援助のお話を中心にしたいので,まずは多国間援助の方から片付けてしまいましょう,
「多国間」援助,というと「いろんな国がいろんな国を助け合う」というイメージが思い浮かびます。それはまったく間違っていないのですが,ちょっと具体的にどんなことを指すのかわかりにくいですね。簡単に言うと多国間援助は「国際機関にお金を出すこと」です。要するに「みんなの役に立ちたいけど,細かいことはよくわかんねーから,お前さんにお金預けますよ。あとはちゃんと使ってくださいよ」という気持ちで,国際機関に拠出することを言います。「徹子の部屋」のユニセフ(←本当のユニセフ。アグネス・チャンとか国連大学みたいないかがわしいものとは違うユニセフ)特集を見て心を打たれた私たちは,何かしたいと思っても具体的にどうしていいかわかりませんね。そこで黒柳徹子を信じてみずほ銀行の口座にお金を振り込みます。これとまったくおんなじです。実際,ユニセフにお金を出すことも多国間援助の1つですし,ユニセフ以外には世界銀行とかアジア開発銀行,NGOなども,多国間援助の窓口となっています。
ですが,一般にODAというとき示唆されているのは,これから説明する二国間援助の方です。二国間援助とは,その名の通り直截相手国を支援するものです。実は,これには大きく分けて3つの形態が存在します。1つが「お金」を「あげる」もの,2つめが「お金」を「貸す」もの,3つめが「技術」を「あげる」ものです。1つ1つ説明していきましょう。
「お金」を「あげる」援助は,無償資金協力と呼ばれます。そのまんまですね。とりあえず今は寄附みたいなものだと思っておきましょう。
「お金」を「貸す」援助は,借款と呼ばれます。円を貸しつければ「円借款」と呼ばれます。「ドル借款」とか「ユーロ借款」という言葉はあんまり聞かれませんね。日本にしてみればドルを貸すより円を貸す方が有利です。為替変動の影響を受けませんから,「返してもらったけど実は損しちゃった」みたいなことがありません。一般に日本は「借款の割合が多すぎる」と批判されます。つまり,「お前ら援助援助って偉そうな顔してるけどよー,金貸してるだけじゃねーか。くれてやってんなら援助っていってもいいけどよー。ちっと汚くねーかぃ」というわけです(「暴れん坊将軍」を見ながらこの文章を書いているので江戸の町火消しのような口調になってしまいますがご容赦を)。ですが,日本が世界の中で特に「金貸し」的だというわけではありません。「グラント・エレメント」という指標があります。これは「『貸してる』っていっても実際はどれだけ『あげてる』に近いか」を示すもので,100%に近ければ近いほど「あげてる」ことになります。友だちにお金を貸すことを考えるとわかりやすいでしょう。飲み会に行ったとき,たまたま隣の席の人間がお金を持ち合わせていなかったことを考えてください。あんまりよく知らない相手だと「1万貸すけど必ず来週返してね」と言いたくなります。この場合,グラント・エレメントは低くなります。「貸してる」感覚が強いですね。ところが,毎日顔を合わせる,しかも気の置けない親友だと「まあ返すのはいつでもいいよ。今度の飲み会のとき逆に出してくれればそれでもいいし」となります。こういう条件だと,グラント・エレメントは高くなります。「あげてる」に近いと見なされるわけです。この数字で見ると,日本のグラント・エレメントは70%くらいです。これはだいたい世界の平均と同じくらいですから,特に日本が突出して「金貸し」に走っているというわけではありません。また,政府貸し付けには「債務繰り延べ」つまり「昔貸したお金,そろそろ返してもらわなきゃいけないんだけどあんたまだ苦しそうだからもうちょっと待ってあげるよ」というのも計上されますから,借款だからといって一方的に非難するのは正しくありません。
「技術」を「あげる」援助は,技術協力と呼ばれます。これには機械をあげたり,人を派遣したり,のようなものも含まれます。「アフリカの砂漠で井戸掘り」みたいな例で思い出される青年海外協力隊などが典型ですね。
ここまでの説明で,なんとなくODAの全体像がわかってきたのではないでしょうか。でも,これだけをもってODAを語るのは正しくありません。ODAは「どんな条件が取り決められているか」が,とっても大事なのです。
タイド,とアンタイド,という言葉を知っておく必要があります。タイドといってもブラックタイド(ディープインパクトの兄,「黒潮」の意)のタイドではありません。ネクタイのタイ,tieです。つまり,タイドとは「つながっている」,アンタイドとは「つながっていない」ことを意味します。
ODAの多くがある建設プロジェクトに対して拠出されます。ダムを造ったり橋を架けたり,という一般的なイメージをそのまま思い出してくれればよいでしょう。ODAにタイド条件がついている場合,実際に工事するときの業者や材料を,支援国しか調達できません。つまり,「お前,車必要なのか。でも金ないのか? じゃあ金貸してやるよ。その代わりうちの実家がディーラーだから,そこで車買ってくれよ」みたいな感じですね。なんとなくあくどい印象を持つかもしれません。「ODAなんて政治家と財界が癒着しててキックバック云々…」と言う人は,暗黙のうちにこれを想定しているわけです。
アンタイド,というのはその逆です。部分アンタイド,というのもあるのですが,わかりやすくするため,ここでは一般アンタイドについて説明します。これはどの国がお金を出したかにかかわらず,世界中どんな国でもその工事を請け負っていいですよ,というものです。いっせーのーせでみんなが入札して施工権を獲得したりするわけです。なんとなくこっちの方が公平な気がします。だからこれまで,タイド条件付きの日本のODAを非難する人が,日本人の中にも多く存在しました。不透明だ,コスト高だ,癒着の温床…,タイド条件は悪の親分のように言われてきたわけです。
ところが,日本のODA=「汚い」,というイメージに反し,日本のODAは世界でも稀なくらいアンタイド案件が多いのです。実に,ODA全体の9割がアンタイドになっています(正確な数値は「国際協力便覧」でも見てください)。例えばアメリカのアンタイド率は3割程度ですから,日本のODAはいかにアンタイド化が進んでいるかおわかりになると思います。これにはいつくかの原因が考えられます。まず,日本は1972年(!),既に原則アンタイド化を閣議決定しているのです。また,2001年にOECDで「貧乏な国へのODAにタイド条件つけるのはやめようよ」ということが提案され,日本もこれに賛成しています。さらに,国際的な「空気」として,「『あげる』場合にはタイドでもいいけど『貸す』場合はアンタイドにしなきゃね」,みたいな暗黙の了解があるのです。先に述べたように日本は,(実態はともかく)借款の割合が高いので,おのずとアンタイド率が高くなるのです。
アンタイドでもいいじゃないか。公明正大な入札で日本企業が落札すればいい。とお思いの方も多いだろうと思います。ところがことはそう簡単じゃありません。一般に,日本の企業は極端に安い金額で応札しません(この理由はあとで説明します)。また,「談合」とまではいかなくても,このような交渉ゲームにおいては「コネと根回し」が大変重要です。「コネと根回し」を日本のお家芸と思っている方がいるかもしれませんが,現実は全く逆です(このような間違った「日本像」は,一体ぜんたい誰が吹聴したのでしょう)。外交・通商交渉をはじめとして日本は「コネと根回し」をとても不得手としています。そのため,「日本が金を出したプロジェクトを別の国に取られる」という事態がかなり多く存在しています。
ここまで話したことから,日本のODAを取り巻く問題が少しずつ明らかになってきたのではないでしょうか。要するに「金だけ出してまったく見返りがない」事例の多いことが問題なのです。
もちろん日本側にも問題はあります。その1つに「日本の工事は高コスト」というものがあげられます。これは,単に日本の工事は丁寧で品質が高く,人件費も高いからというだけでありません。日本のゼネコンは,いわゆる「出来高払い」を採用しないことが多くあります。出来高払いとは,少し作ったらその分お金を払う,またちょっと作ったらお金を払う,という方法です。なんとなく「作らなくちゃ」という気になりますね。ところが日本は工事の前と後にぼーん,ボーンと2度お金の遣り取りをするだけだったりするわけです。ちょっと考えてみてください。「1万円あげるから勉強しなさい」と言われて先にお金もらった場合,勉強する気になりますか? そのお金握りしめて大井競馬場に行きたくなりますよね。ユキチャンからの3連単とか買いたくなっちゃいますよね。それに対して,「この年度の過去問解いたら1,000円あげるよ。次の年度の問題やったらまた1,000円あげるよ」と言われたらそりゃあちょっとはやる気になります。実際,出来高払いを採用している中国企業がサクサク案件をこなしている一方,日本企業は金を払ってもなかなか現地工事が進まない,あるいは施工が終わっているのに工事代金を回収できない,といった問題に悩まされているという話も耳にします。
また,先に述べたような交渉力不足も問題です。何が何でもグローバル・スタンダードというのがおかしいのはもちろんですが,ゲームのルールに合わせてこちらが工夫しなければならない点も数多く存在するはずです。たとえば(説明していない)部分アンタイドを技術協力との抱き合わせで獲得するなどのたくましさはあってしかるべきと考えます。
そして何より,ODAの問題が,実は国内手続きにおいて,くだらない省益争いに巻き込まれやすい,という点を指摘しなくてはなりません。他国と喧嘩したくない外務省,できるだけ日本企業のためになりたい経産省,なるべくお金を出したくない財務省,の3すくみに巻き込まれ,新ODA大綱以降もそもそも政府として統一した方針のもと動いているのか,という点ではなはだ疑問が残ると言えましょう。
ですが,いずれにせよ大事なのは国民一人一人がODAについて正しい理解を持つことです。外国との競争に打ち勝つのも,不毛な省益争いを監視するのも,政治家の過度な介入を回避するのも,すべて国民の意識にかかっているといっても過言ではありません。「愛国的」な人々が「一銭も出さなきゃいい」とうそぶいているうちは,「国益」とやらに真にかなう政策が実施されるはずもないのです。「お金は出さないよ。この領土はうちのものだよ。あのガス田の権利はくださいね。日本の国際的地位をもっと高めてね」というのは,いくらロジックとしてそれなりに合理的であったとしても,「そんなわがままは通らない』という国際的合意が為されている限りにおいて,日本にとって実に無益なものなのです。外交交渉で強気な発言を言い放つには,それがまかり通る環境整備が必要です。そのようなことを回避し,「出しません。もらいます」では,それこそ「愛国」的な人たちが忌み嫌う某国の振る舞いと,なんら変わるところがないだろうと思うのです。